アメリカ政治と、変動相場制移行後の為替レート

変動相場制への移行後、世界経済に対してのアメリカの影響力はさらに大きくなりました。 近年では、アメリカの政策や経済状況の変化などが、為替レートの大きな変動へと繋がるケースが幾度も確認されています。 1975年に、取引所集中義務を撤廃したり委託手数料を自由化したりで市場間競争を生むことで効率化を目的とする証券市場改革が行われるなど、アメリカでは制度の改革が行われました。 1970年後半には、進んだ米ドル安によるインフレがアメリカ経済を切迫したことから、当時のカーター政権は様々なドル防衛策を掲げました。いわゆる『カーターショック』です。結果、為替レートは反転して米ドル高へと進行しました。 その後、進んだ米ドル高などでアメリカの貿易赤字および経常赤字が大きくなった1985年、ニューヨークのプラザホテルにてアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・日本により『プラザ合意』が行われました。 これは米ドル高を食い止め為替レート安定化させるための合意です。 プラザ合意による米ドル安は急激に進み過ぎてしまったため、今度はそれに歯止めをかけるべく、1987年には為替レートを安定させる『ルーブル合意』が成立します。 ただし合意後も、諸々の要因で米ドル安は進行していきました。 1993年に政権が交代してクリントン政権が発足すると、アメリカの経済政策は大幅に方向転換が行われました。財政赤字の削減や、政府が民間の経済活動に協力することで経済を活性化することを大きな目的とする『クリントノミスク』と呼ばれる経済政策です。 2007年から2009年にかけ、『サブプライム住宅ローン危機(サブプライムショック)』および『リーマンショック』が起きました。 アメリカの低所得者向けの住宅ローンであるサブプライムローンが、住宅価格の下落によって崩壊しました。そのため、サブプライムローンに巨額を投じていた大手投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスも大きな損害をこうむってしまい、2008年に倒産してしまったのです。 リーマン・ブラザーズの経営破綻を皮切りとして、世界的金融危機が発生。為替レートにも大きな影響が出ました。 その後も米ドル安が進みますが、金融緩和をはじめとする政策などの結果アメリカの景気は回復、米ドルの価値は上昇傾向となりました。 2018年現在、世界の経済の中心はアメリカだという状況に変化は訪れていないと見てよいでしょう。

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